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疲れない気遣いがあるんです

タイトルにもありますが

気を遣うって疲れますよね?

 

気難しい人だから、気を遣う。

評価に響くから、上司には気を遣う。

先輩が残業してるから、気を遣って帰れない。

 

日常には『気を遣う』シーンが山ほどありますよね。

そして、そんなシーンに出会うと、どっと疲れてしまう。

激しい動きはしていないけど、気疲れという疲労感が残ります。

 

現実世界だけでなく、SNSでのコメントにも気を遣わないと

炎上騒ぎや、変な噂が立ってしまうかもしれない。

 

とかくこの世は気を遣うことばかり。

これでは疲れて当然ですよね。

 

でも疲れない気の遣い方があるとしたら、どうですか?

 

 

気を遣うとなぜ疲れるのか

 

そもそも『気を遣う』とどうして疲れてしまうのでしょう?

先にも書きましたが、激しい運動は一切していません。

どちらかと言うと、極力目立たないようにしていますよね。

にも関わらず、疲れが出てしまいます。

 

実はこれには理由があるのです。

『気を遣う』とは、他者への『過剰反応』なのですね。

この『過剰』というのがポイントです。

 

ただの反応であれば自然な反応なので、疲労は生まれません。

心も穏やかな状態を保つことができます。

ですが『過剰』となると、不自然な反応になります。

そこには『緊張』『焦り』『恐怖』『不安』などなど

ネガティブな感情が一気にわき上がるのですね。

 

これらのネガティブな感情を表に出さないように押さえ込むので

感情の出口が無くなってしまうのです。

そしてそれらのネガティブな感情が、疲労として蓄積していくのです。

 

 

疲れない気遣いって?

 

気を遣うことは『過剰反応』であり

ネガティブな感情がセットになってくる。

疲れて当然の行為となるわけです。

では疲れない気の遣い方なんてほんとにあるのでしょうか?

 

実はあるのです。

それは『気を配る』ということです。

 

気を遣うことは過剰『反応』です。

つまり反応しているのですね。

反応とは受け身の状態です。

外部刺激によって、無理矢理発生しているということです。

 

ですが『気を配る』とは、能動的な『行為』となります。

自らが進んでする『行為』です。

それは自分にとって『自然な行為』となるのです。

 

つまり疲れない気遣いとは、自分の生き方に繋がるのですね。

 

 

『気遣い』と『気配り』の違い

 

端的に区別すると

気遣い=消耗

気配り=分け与える

となります。

 

気遣いは自分にとって不自然な行為です。

つまり自分の中に元々無い行動ですから

それを生み出すためには、力を消費しなければなりません。

これが『消耗』の正体です。

 

気配りは自分の生き方に沿った行為となります。

元々自分の中にある行為ですから、消耗することはありません。

自分の中からあふれ出たものを分け与えることになるのです。

つまり余剰分を消費しているだけですから、消耗しないのですね。

 

 

 

気を配るには、自分の方針をしっかりと持つことが大切です。

自分の方針は、まさに生き方ですよね。

どのような人間になるのか。

そのために相応しい行動はなにか。

 

そういったものを一つ一つ積み上げていくことで

気遣いではなく、気配りのできる人へと変化していきます。

 

人はいつからでも成長ができます。

 

自分にとっての生きる方針を考えてみるのも、いいものですよ。