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主体を『私』から『私たち』へ

 

『私』と『私たち』の違いは一体なんでしょうか?

単数形と複数形の違いだけ?

実はここには大きな違いがあります。

 

その違いの前に『私』から『私たち』にすることで

より大きな関わりや協力を得られるようになるとすれば

『私たち』という視点の変更をする価値があると思いませんか?

 

それは自分の『表現』の改善にもなります。

では『私』と『私たち』にはどんな違いがあるのか。

詳しく解説していきたいと思います。

 

 

『私』の視点にあるもの

 

コミュニケーションにおいて主体が『私』である場合

そこにはある暗黙の前提が横たわっています。

その前提とは

『私は正しいし、良いことを考えている』

だからこそ

『あなたは間違っているし、それが最善では無い』

という対立構造になっているのです。

 

つまり相手の考えを否定し、自分の考えを優先させようという

自己主張の強い意図が隠れているのです。

 

この構造になっているときに起こることは、相手との争いです。

対話でなく討論になっているのですね。

そこに協調はなく、価値観のぶつかり合いが発生してしまうのです。

 

これはコミュニケーションにおいて、同じ目的を目指す者同士と言えるでしょうか。

 

 

『私たち』の視点にあるもの

 

主体が『私たち』の場合は何があるのでしょうか。

そこには

『私の考えはあるが、それはまだ未熟かもしれないし、改善の余地があるかもしれない』

という前提です。

その裏側には

『あなたは私に無い知識を持っているかもしれないし、あなたの意見を受け入れる余地がある』

という共同の意思が横たわっているのです。

 

ここにあるのは対立ではなく、対話があります。

対話は互いの知識、経験、価値観をテーブルに出し合い

目的に対し、どれが相応しいかを共に考えていく作業です。

 

ここに争いは生まれません。

『私たち』の視点には、『私』と『相手』は同じ集合体に含まれているのです。

つまり仲間の意識の中に存在しているのです。

 

 

『私たち』の視点は互いを信じ合うことから生まれる

 

先にも述べたとおり『私たち』の中に、『私』も『相手』も包含されています。

つまり運命共同体と言えます。

ここに利己的な考えを持ち込んでしまうと、一瞬にして『私』の視点に落ちます。

対立関係が必ず生まれてしまうからです。

 

だからこそ『私たち』の視点では、互いに信じることが重要になるのです。

互いに信じられるからこそ、持っているカードを見せ合うことができるのです。

そのカードを使って、目的達成のためのよりよい手段を作ることができるのです。

 

『私たち』の視点には対立はありません。

決められた大きさのパイを奪い合うのではなく

パイの大きさをより大きくするためにはどうするのか

その視点で考えることができるようになるのです。

 

 

 

『私』と『私たち』

どちらの視点がより大きな成果を得られるでしょう?

人は協力することで、大きな成果を出すことができます。

利己的にならず、『私たち』の視点を意識すること。

 

それがよりよいコミュニケーションへのチケットとなるのです。