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日常生活に必要でない悟りについて

「悟り」ってなんかスゴイことのように思えますよね。

というか日常生活の中で「悟り」について考えることなんて無いですよね()

実は幸せに生きる上で、悟りってそれほどと言うよりほとんど関係無いんです。

 

でも悟りって一体どういうものかを知っていることで

日常のストレスを軽減させることが出来るかもしれません。

今日は意味のない、悟りについてお伝えしますね。

 

 

悟り=万物同価値

 

結論から言っちゃいますと、悟りは全てのモノが同じ価値であるということを知る。

ということです。

いやいや、全てが同価値なんて有り得ないでしょ。

そう思ういますよね。

でも悟りの境地は、そこに行き着いた思考を言うんですね。

 

だからこそ、日常生活ではほとんど必要が無いというわけです。

とはいえ、悟りに行き着く思考手順を知ることで、世界の見方が変わります。

その変化は悪いモノでは無いと、僕は断言することができます。

 

 

悟りに行き着くための思考

 

大前提として、この宇宙の内側や外側にある何かは全て、自然に出来ています。

何かもしくは誰かの意図があるように見えても、全ては自然の中にあるんですね。

それが一体どういうことかを、解説していきます。

 

現代の人のほとんどは、この地球にあるモノを二つに分類しています。

ひとつは、人工的なモノ。もうひとつは、自然なもの。

まずはこの境界線を無くす必要があります。

 

実はこの世界に人工的なモノなんてものは存在しません。

全てが自然によって生まれたものです。

なぜそうなるのか?

 

地球が生まれて数億年後、単細胞生物が生まれます。

そこから様々な進化の過程があり、人間が生まれました。

つまり人間は自然の産物といえるのです。

そんな自然の産物が何かを創り出したとしても

自然の内側に内包されるものでしかありません。

 

「人間は神が創り出したのだ!」

と主張する人もいるかもしれませんよね。

であればその神は誰が創ったのでしょう?

この物理宇宙は、縦・横・高さ・時間の四次元空間です。

この空間を統べる神がいたならば、さらに高次の次元を統べる神も存在します。

神の神が、僕たちが神と呼んでいる神を創ったかもしれません。

そしてそのサイクルは無限に続いていきます。

 

神も自然によって生み出されているのです。

 

 

全てが自然の産物

全ては自然の中に内包されているだけなんですね。

ということは、自然の中にあるものに優劣は存在しません。

全てが自然由来の天然成分です。

 

全てが「自然」という同一の存在になるわけです。

 

例え命であったとしても、自然に生まれた物体の中にあります。

自然という同一の存在であれば、人間も虫も同価値。

命の重みは変わらず等しいのです。

 

 

とはいえやっぱり、虫と人間の命は違うよね

究極的には全てが同価値なので、命も石ころも同じとなります。

でも、自分の命が石ころと同じだと言われても、絶対に違いますよね。

石ころより、めちゃくちゃ大切ですよね。

 

それでいいんですよ。

悟りなんて開いたところで、なんにもならないんです。

大切さに優劣はついちゃって当たりまえなんですね。

 

ただここで思いだして欲しいのは、万物同価値という基本です。

つまり、個々に意味を付ける必要はないということです。

もしも目の前に辛い何かがあったとき、これは辛いものなんだと

自分が意味を付けることで、辛いと認識してしまいます。

目の前のことは意味が無いと思えば、辛いもなにも存在しません。

 

このあたりのことは、とことん向き合わないと実感を持てないと思います。

でも一度でもその感覚を掴むことができれば、ストレスからは

大きく解放されることになります。

 

目を背けるのではなく、じっと観察して意味が無いことに気付くことです。

 

それがストレス緩和への道に繋がるのです。