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思うだけで罪になる

 

「アイツを殴ってやろうか!」

実際に殴らなければ、思うだけでなら罪は無いですよね。

なんの被害も生まれていないわけですから。

 

でも実は、思うだけでも罪になるんです。

これは仏教的な考え方なのですが、意味が分からないですよね。

でもこの理由を知ると、納得していただけるとおもいますよ。

 

しかも実践すると、気分がとても楽になります。

 

 

人の行動原理

 

まずは人の行動原理を知る必要があります。

人が行動を起こすとき、自分の中でなにが起きているのか。

それを知ることで

「思うだけで罪になる」

ことの意味がさらによく分かります。

 

例えば、背中がかゆくなったとします。

するとあなたは

(背中がかいゆな)

と認識します。

(背中をかけば、気持ちいいだろうな)

と考え

(よし、背中をかこう)

と決意し

【背中をかく】

行動を起こします。

 

このように、人が行動を起こす前には

頭のなかで行動について考えているわけです。

その考えがなければ、行動が生まれることはありません。

 

「いや、そこまで考えて行動してないよ」

そう感じるかもしれません。

でもそれは、意識的に考えていないだけで

無意識的に考えているんですね。

 

 

思うことが行動を生み出す

 

「アイツを殴ってやろうか」

と思うだけだと、被害は生まれてはいませんが

そう思うことによって、行動につながる一歩を踏み出しているんですね。

もしも、毎回同じ相手に対して

「殴ってやろうか」

と思い続けていたなら、ふとした切っ掛けで

その行動が生み出されてしまうことがあります。

 

もちろん本気で殴ろうなんて思っていなかったとしても

人間には「魔が差す」瞬間があります。

その瞬間に頭の中に、行動を生み出す『思い』という種があると

簡単にその行動が生み出されてしまうんですね。

 

つまり頭のなかで思うだけで

行動につながる可能性を生み出してしまうということなんです。

 

 

心業・口業・身業

 

これは仏教の言葉です。

心業は、心で思うこと。

口業は、口で言うこと。

身業は、身体ですること。

 

口業と身業は、心業と繋がっていると考えられています。

まさに上に書いたことですね。

 

口業と身業を抑えても、心業の火が燃えていたら

口業と身業にもその火がやがて伝わって、燃え上がります。

つまり心業にある火を消してしまうことが

なによりも大切という考え方なんですね。

 

 

 

思うだけでは被害は生まれません。

でも思っていると、それがどうしてもにじみでてしまいます。

相手のことを憎いと思っていると、たとえ自分はにこやかに接していたとしても

相手のことを憎しみを込めた目で見てしまいます。

 

目は口ほどにモノを言うとありますよね。

思っていることは、どうやったって隠せないんです。

 

心を安らかにする。

これが大切で難しいところなんですね。