· 

自然の摂理ってなんだろう?

 

先に宣言しておきます。

今回のブログは面白くありません()

というのもテーマが「自然の摂理」だからです。

 

自然の摂理に背いた行動はダメだ、とよく聞きますが

じゃあ「自然の摂理」って一体なんなのでしょうか?

そのことについて考察してみました。

 

興味があるようでしたら、あなたも考えてみてくださいね。

このような探求が脳を活性させたりしますよ^^

 

 

自然の摂理の具体例

 

自然の摂理を考えるにあたって、自然の摂理とはなんぞや?

と言葉の定義を具体的に定める必要があります。

例を出しながら、自然の摂理かどうかを見ていきましょう。

 

 

ケース1

サバンナでシマウマの赤ちゃんがチーターに襲われそうになっている。

あなたの手元にはシマウマを助ける道具があります。

でも、チーターがシマウマを狩るのは自然なことです。

シマウマの赤ちゃんを守らないことを選択した。

 

 

ケース2

サバンナでシマウマの赤ちゃんが濁流にのまれてかけていた。

あなたの手元にはシマウマを助ける道具があります。

でも、野生生活のなかで川に飲まれることは自然なことです。

シマウマの赤ちゃんを守らないことを選択した。

 

 

ケース3

猛暑日の日中、スーツを着た男性が道で倒れていた。

おそらく熱中症だと思われる。

あなたはスマホを持っているので救急車を呼ぶことができます。

でも、猛暑であれば熱中症になることは自然なことです。

救急車を呼ばないことを選択した。

 

 

何が自然なのでしょうか?

 

3つのケースをご覧頂きました。

そのなかで最も「自然の摂理」だと感じられるものは

ケース1だと思います。

 

ケース2は微妙な感じがして、ケース3はありえないと感じたのではないでしょうか。

 

でも不思議ですよね。

全てのケースの「文脈」は全く同じです。

文脈を抽出すると

 

「誰かが危機に瀕していて、助ける手段があるが、そのままにする」

 

となります。

同じ文脈なのに、感じ方が全くちがってくる。

ここに「自然の摂理」とは何かのヒントが隠れているかもしれません。

 

 

どうして人間相手には違和感を覚えるのか?

 

相手がシマウマだった場合、助けない選択をしても

感情の揺らぎはあるものの、違和感はあまり出てきません。

ですが人間が相手になったとたん、違和感は急激に膨らみます。

 

文脈は全く同じなのに「自然の摂理」という色をつけたとたん

ケース3の行為は違和感の塊になってしまいました。

これは人という、同一の種族だから生まれたのでしょうか?

もしそうであれば、哺乳類でくくれば人もシマウマも同族です。

ということは、「族」は少し違うのかもしれません。

 

では環境でしょうか?

サバンナであれば、ケース3もケース1と同じように感じるでしょうか?

そうはならないですね。

ということは環境は関係ないかもしれません。

 

次はシマウマにはなく、人間にあるものに目を向けてみましょう。

「命」「感情」「苦痛」「恐怖」は、どちらにもありますね。

例えば「倫理」なんかは、シマウマにはなく人間がけが持っているかもしれません。

シマウマが倫理を持っていないと証明できないので、断定はできませんが。

 

「困っている人は助ける」

これはおおよその人が持つ、社会的倫理観だと思います。

それが大きく作用して、違和感を覚えているのかもしれません。

 

 

結論は?

 

今回のテーマについては、僕なりの結論は出しません。

あなたなりの結論を出してみて欲しいのです。

 

3つのケースでなぜ感じ方が違ってくるのか?

そこに自然の摂理の答えの一端が隠れているかもしれません。

 

ただ最後にお伝えしたい疑問があります。

人は自然の産物なのでしょうか?

人から生み出されたビルは自然の産物でしょうか?

カラスの巣は自然の産物でしょうか?

 

もしかしたら人と自然の中に、見えない境界線があるのかもしれません。

その境界線は誰が作っているのでしょうか?

その境界線が自然の摂理を隔てる「何か」なのでしょうか?

 

 

あなたなりの答えを教えて頂けると嬉しいです^^