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大切にしている学びの姿勢とは?

 

今回は「学び」について

あれこれ思うことを書いていこうと思います。

というのも今、僕自身の学びを深めるために

とある講座を受講しています。

 

その受講の中で「学び」を考えるうえで

とても良い出来事がありました。

それを紹介していきますね。

 

 

受講生にもレベルがある

 

僕が受けている講座は

僕がクライアントさんに提供しているような

1対1のものではなく、スクール形式の講座です。

そのため、多くのメンバーが同じ講座を同じ日に受ける形なんですね。

 

そうなると受講生の中には、様々なタイプの人が混ざるわけです。

 

学びにものすごく積極的な人。

✅事例を沢山知りたい人

✅教えて貰ったことに疑問を持つ人

✅必死に食らいついていく人

✅途中で諦めてしまっている人

✅課題を完璧に仕上げてくる人

✅課題がいつも中途半端な人

✅コメントが的確な人

✅コメントが少しズレてしまう人

 

などなど、色んな人がいるわけです。

そうなると、学びへの意識の高さにどうしても差が生まれてしまうんですね。

 

そしてその講座では、グループワークの回数がそこそこ多くて

組んだメンバーによっては、ワークの質も違ってきたりする場合があるんです。

すると、人によってはそこに不満を感じてしまう人もでてくるんですね。

 

 

不満の内容

 

これは学ぶ意識の高さがゆえですが

学ぶ意識の高い人が意識の低い人とグループになっても

フィードバックの質が悪いので組みたくない、という不満が出てきたのです。

 

中には運営側に直談判する人も現れてきて

裏ではなかなか殺伐とした雰囲気が生まれつつあるんですね。

 

僕はいたって普通に受講して、課題にも積極的に取り組むようにしています。

しっかりと取り組んで新しいスキルを身につけたいですしね。

お金もそれなりの額を支払っているので、無駄にしたくないし()

(ちなみに僕のコースより高いです)

 

で、僕は受講生の中でも上位にいると評価されているっぽいんですね。

「っぽい」というのも、テストがあるわけでもないので

講師からのそういった評価も無いんです。

 

ただ成果物やコメントの的確さなどで、そう思ってもらっている感じなんですね。

コメントについては『ログコーチ®』で毎日クライアントさんに届けているので

そりゃまあ、当然といえば当然なわけですが()

コメントがヘナチョコと言われたら、クライアントさんに顔向けできないですよ。

ということで僕のコメントはかなり重宝されているみたいです。

 

 

と、少し話はそれましたが、グループワークのメンバーを

レベル感に合わせて組んで欲しいという要望が出ているわけです。

たしかに気持ちは分かるんですよね。

 

せっかく忙しいなか真剣に課題に取り組んで発表しているのに

課題に取り組んでいないメンバーと同じグループになっても

的確なフィードバックは望めません。

真剣に取り組むからこそ、見えてくるものがあるわけです。

 

真剣に取り組んでいるからこそ、真剣に取り組んでいる人からの意見が欲しい。

そう思うのはいたって自然なことだと僕も思います。

 

 

学びの本質

 

質の高いフィードバックが欲しい。

とっても理解できます。

僕も質の高いフィードバックを貰えたときは

素晴らしい学びや気づきを得ることができます。

それはとても価値のある学びなんですよね。

 

なんですが、そればかりを求めるのってどうなんかなと

個人的には思うわけです。

 

この辺りの話になると、価値観の違いでしかないので

このブログを読んでいるあなたも、あなたなりの考えがあると思います。

それはそれで大切なものですし、僕はそれを否定するつもりはありません。

 

ただ僕の学びに対する価値観は

「誰からでも、どんなモノからでも、学びがある」

というスタンスなんですね。

 

風に揺れる木々・虫の動き・植物の繁茂戦略

 

それだけでなく、専門知識の無い人からの意見などからも

最高の気づきを得ることができるんです。

 

専門知識がないからこそ見える『素朴な疑問』があるんですね。

知識があると見えなくなってしまうような疑問も

知識が無いからこそ見ることができるわけです。

 

するとその素朴な疑問から、新たな気づきが生まれることって

ほんとーに多いんですよ。

 

僕はこれまでの人生で、そういったことを実感する経験が多かったんです。

そのために学びに対して、こんな価値観を持っているんですね。

 

子どもからの学びなんかスゴイですからね。

大人になると純粋さが消えてしまうので、子どもの純粋な心から生まれた言葉って

物事の本質への問でもあったりするんです。

 

 

誰からでも学ぶ姿勢を持つ

 

ほんと、コレに尽きると僕は思うんです。

学びを求める相手を限定してしまうのって

学びの幅を狭めることになる可能性もあるんですね。

それって勿体ないと思いませんか?

 

誰からでも学ぶチャンスがあると思っているほうが

学びの機会がぐっと増えるんですよ。

 

この姿勢を持てば、世界は知識の宝庫になるんですよね。

いままで見落としていたものに驚きますよ()

 

ということで、いま一緒に学んでいる仲間の姿勢をみて

僕のなかにある学びへの価値観が浮き彫りになったお話でした。

 

もちろんあなたはあなたなりの考えがあると思います。

それはそれで、大切にしてください。

その上で、こんな考え方もあるよと知っておくことは

決して損ではないですからね。