
仕事でもプライベートでも失敗をしてしまったとき、その失敗を認めることが難しいときってありますよね。
とくにその失敗が大きければ大きいほど、なかなか認めることができません。
今回は人が失敗を認められない心理についてお伝えしたいと思います。
この心理のせいで色々と損をしてしまうかもしれないので、そうならないためにもぜひ参考にしてくださいね。
実話:カルト信者の盲信
これは1954年のアメリカ、シカゴであった実際のできごとです。
この年の秋に地元の新聞に奇妙な記事が出ました。
「シカゴに告ぐ、惑星クラリオンからの予言
大洪水から避難せよ」
という見出しの記事で内容は、
霊能者を名乗る主婦がある惑星の神のような存在から「1954年12月21日の夜明け前、大洪水が発生して世界が終わる」といったメッセージを受けたというものでした。
主婦はこの予言を友人たちに伝えていて、その何人かは家族の反対を押し切って仕事を辞め、家を出て、その主婦と暮らしていました。
新聞記事が出た頃にはその主婦は、教祖的存在になっていたのです。
そして信者はみんな
「世界が終わる直前に空から宇宙船がやってきて、救ってくれる」
と信じていました。
これを知った心理学者のレオン・フェスティンガーは、この予言が外れたあと信者がどんな行動を取るかに興味を持ち、カルト集団に信者のふりをして潜入したのです。
予言が外れたときの予想としてフェスティンガーは、教祖を詐欺師と認定し、カルト集団から離れて元の生活に戻ると考えていました。
常識的に考えると、誰もがそう思います。
そこでどんなやりとりが行われるのか、フェスティンガーはそれを知りたかったのでした。
そして予言の当日を迎えます。
約束の時間になっても宇宙船は現れません。
洪水が起きる気配もありません。
信者のなかには、空を見つめながら「あれがそうだ!」と言ったりしていましたが、結局「何も起きなかった」のでした。
予言が外れたことが明確になったとき、信者はどんよりとした顔つきになっていました。
ですがしばらくたつと、何事もなかったかのように、それまで通りの祈りの儀式などの行動を取り始めたのです。
フェスティンガーが予想した、教祖に幻滅するようなことはなかったのでした。
それどころか、さらに熱心な信者になる人も出てきたのです。
いったい信者の中で何が起きたのか?
フェスティンガーは注意深く観察すると、非常に面白いことが起きていたことに気付きました。
信者たちは予言が外れたと理解したとき
「神は私たちが注意喚起したことや信心深さを認めてくれて、この世界にチャンスを与えてくれた」
「私たちが世界を救ったんだ!」
と言い出したのでした。
信者たちは教祖の予言が外れたことに悲観するのではなく、逆に自分達が世界を救ったのだと、自分に酔いしれていたのです。
フェスティンガーは当初どうしてこんなことになったのか理解できませんでしたが、人間心理を紐解いていくことによってこの心理を明らかにしたのです。
認知的不協和
人は自分の信念と相反する事実を突きつけられたとき、自分の過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまうといった心理が働きます。
次から次に、自分にとって都合のいい言い訳をして自分を正当化してしまうんです。
この心理のカギとなるのが
「認知的不協和」
と呼ばれる心理です。
自分がこうだと思ったことと事実が矛盾しているとき、人はそのギャップに不快感やストレスを持つことになります。
その嫌な状態をなんとかしないと、気持ち悪さだけが残ってしまいます。
自分の信念と事実のギャップを埋めるための解決策は2つあります。
1つ目は、自分の信念が間違えていたと認めることです。
ですがこれはとても難しいんです。
自分が間違えていたと認めることは、恥をかくことになります。
つまり自尊心が傷ついてしまうのです。
人は自尊心が傷つくことをなにより恐れているので、自分の間違いを認めることがなかなかできません。
2つ目は、事実の否定です。
自分にとって都合のよい解釈をして、事実をねじ曲げるんです。
そうすることで自分の信念は守られるので、自尊心も傷つきません。
さっきのカルト信者も同じです。
自分が信じたものが嘘っぱちだと認めたとしたら、元の生活に戻らなければなりません。
でも家族や職場を出るとき、一悶着あったはずです。
いまさら「ごめん、間違えてた」と戻ろうものなら、どれだけバカにされるかわかりません。
自尊心が耐えられないのです。
そのことを無意識で理解しているので、いまの場所に居続けるしかないのです。
それを正当化するために「自分達が世界を救った」と思い込むしかなかったのです。
認知的不協和の罠は誰にでも起こりえます。
そのときに、自分の失敗や間違いを認めることができるかどうか、ここが運命の分かれ道になるわけです。
このような心理の罠があることを知っているかいないかで、自分の状態を客観的に観察することができるようになります。
失敗や間違いを認めると恥をかくかもしれません。
ですがその恥はその瞬間だけで終わります。
解釈をねじ曲げて意固地になってしまったら、その後もずっと白い目で見られ続けてしまいます。
勇気を出して素直に認める。
それが認知的不協和の罠から抜け出す方法なんです。
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