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その行動は操られているかも?

 

暑い日が続きますよね。

こんなときはアイスクリームを食べたくなってしまいます。

アイスクリームで有名なチェーン店なんかでは、32種類のアイスクリームが用意されています。

そんなに種類があると、選ぶのにも迷ってしまいますよね。

 

その中から自分が食べたいフレーバーを選ぶとき、私たちはどうやってきめているのでしょう?

 

いつも同じものを選んでいる人もいるでしょうけど

「今日はチョコレートが食べたい」と思って注文することもあるはずです。

そのとき、どうしてバニラでなくチョコレートを食べたいと思ったのでしょうか?

 

「今日はそんな気分」

「久しぶりにチョコを食べたかった」

と簡単に答えが出てくると思いますが、その答えが本当にそのフレーバーを選んだ理由なのでしょうか?

 

実は人は、自分がそれを選んだ本当の理由を知らないまま選んでいるかもしれないのです。

 

 

人は選んだ理由を創作する

 

私たちは本当はなぜ自分がそうしたのかを知らない場合であっても、もっともらしい理由を作り上げてしまう傾向があります。

そのことを証明した実験がありました。

 

実験参加者にテーブルに並べられた4足のストッキングのなかから、最も良い品質のものを選んでもらい、その理由を尋ねるという実験です。

 

すると4割もの人が一番右側に置かれたストッキングを選んだのでした。

そこで出てきた答えが

4足のなかで一番伸縮性があった」

「一番肌触りが良かった」

「色合いが理想的なものだった」

と、色々な理由を答えてくれました。

ですが実際は4足とも全く同じストッキングだったのです。

 

つまり右側に置かれたストッキングは品質の違いで選ばれたのではなく、本当は一番選ばれやすい置き場所だったにすぎなかったのです。

それでも参加者たちは、それぞれにもっともらしい理由を答えたのでした。

 

 

実験からわかること

 

この実験からは2つのことがわかります。

1つは、私たちが自分の行動を起こさせている理由について、正しく把握できていないということ。

もう1つは、それにもかかわらず、自分が納得できるような説明をしてしまうということです。

 

つまり何かを選んだとき、後付けで自己説得するような理由をでっち上げてしまうということです。

 

冒頭のアイスクリームでいうと、店から出てきたお客さんがチョコアイスを食べていたのを見たからかもしれません。

ですがほんの一瞬のできごとなので、思い出すことはできないけど、チョコアイスというイメージが無意識で活性化した結果、チョコアイスを選んだかもしれないのです。

 

自分が明確な意志で選んだと思っていても、もしかすると外部からの影響を知らない間に受けたことで、その選択になっているのかもしれないのです。

 

 

間接的な刺激も影響する

 

さっきはチョコアイスそのものを見て、無意識が刺激されてチョコアイスを選んだ例をあげましたが、実は直接的な示唆がなくても影響を受けてしまうこともわかっています。

 

例えば、看護師の写真をみたり話を聴いたりすることで、看護師に紐付けされている「親切」という概念が刺激されて、その後の行動が親切になるということも明らかになっています。

 

しかもこれは、行動だけでなく知的活動にも影響を与えてしまうのです。

 

一般常識のテストを用いた実験で、テストの前に参加者を2つのグループに分けます。

そして事前課題としてある課題について考えてもらいます。

1つのグループには「知的」なイメージのある人の典型的な特徴について、もう1つのグループには「知的でない」イメージのある人の典型的な特徴について考えてもらいました。

 

その上でテストを受けた結果、「知的」グループと「知的でない」グループとで、明確な成績の差が現れたのです。

「知的」グループの成績は良くて、「知的でない」グループの成績は悪いものだったのでした。

どちらのグループも知的水準は同程度に合わせているにもかかわらず、テスト前に「知的」もしくは「知的でない」イメージを刺激しただけで、成績が変わってしまったのです。

 

これは一般常識だけでなく、記憶テスト、数学テスト、創造性をみる課題など、様々な種類のテストにおいても同じ結果となったのでした。

 

 

触れるもので行動を促進できる?

 

ここまでは実際にあった実験についてお伝えしてきました。

意識せずに触れていた刺激から、その後の行動や知的活動に影響が出るというのは衝撃的な内容です。

そう考えると人はとても影響を受けやすい生き物なのかもしれません。

 

ということはその性質を逆手に取ることで、自分の選択や行動にプラスの影響を与えることができるかもしれません。

 

例えば、心温まる作品に触れれば、人に優しくする確率を高めることができるかもしれないですし、困難を乗り越える作品に触れれば、勇気ある行動を選びやすくなるかもしれません。

 

ドロドロとした人間関係の作品は間違いなく面白いのですが、その作品に触れることで嫌味な行動を取ってしまうかもしれません。

 

そんなことを考えると、作品を素直に楽しめなくなってしまうかもしれませんが、自分の選択や行動にプラスになる作品に触れることは悪いことではないかもしれません。

 

 

 

最後は「かもしれません」ばかりになってしまいましたが、知らず知らずのうちに影響を受けているということを知っていることは悪いことではありません。

実験結果をそのまま適用するならば、普段の生活のなかで「良いもの」に触れることが、人生の質を高める材料になるということです。

 

 

何に触れるのかを意識することは、有意義なことかもしれませんね。