· 

テセウスの船

 

あなたは「テセウスの船」という言葉をご存じでしょうか?

これはギリシャ神話に由来するものなのですが、簡単にお話を紹介すると

 

テセウスというおじさんがクレタ島から乗ってきた船を、アテネの人は大切に保管していました。

ですが木造の船なので、どうしても木が朽ちてしまいます。

そのたびに新しい材木で修繕するのですが、ついに全ての木材が交換されてしまいまいした。

それでもこの船は「テセウスの船」と呼べるのか?

 

というお話です。

 

これについて哲学者たちが議論したところ、「別の船」という意見と「同じ船」という意見の両方が出てしまったんです。

 

 

問題の主題

 

このお話の主題は

「過去のそれと、現在のそれは、同じそれと言えるのか?」

というものです。

 

これとちょっと似ている話に「ヘラクレイトスの川」というものがあります。

例えば、僕の住んでいる近くには「寝屋川」と呼ばれる川が流れています。

 

あまりキレイな川ではないので、入ると変な病気にかかりそうなんですが、この川に入ったとしますよね。

そして次の日にも同じ寝屋川に入ったとしても、それは昨日と同じ寝屋川ではないって説なんです。

 

どういうことかというと、川を流れる水は常に新しい水が流れ続けています。

同じ場所に入りはするのですが、次から次に違う水が流れ込んでくるので、厳密にいえば同じ川じゃないでしょってことなんです。

 

つまり時が経つと、同じように見えてもそれは同じではないというモノの見方なんですね。

 

 

人にも当てはまるのか?

 

船や川であれば、ぶっちゃけどっちでもいいわけですよ。

木材が全部変わろうが、川の水が変わろうが、船は船だし、川は川なんです。

なんですけど、人の場合はどうなんでしょう?

 

人の身体は代謝しているので、テセウスの船の木材のように細胞はどんどん入れ替わります。

例えば、おおよそではあるのですが、血液であれば120日、皮膚は28日、筋肉は180日、心臓は意外と早くて22日、骨の場合は時間がかかって若い人なら3年、年を取ると510年で入れ替わると言われています。

 

ちなみに脳については細胞が入れ替わることはないのですが、そのかわりに増加することが分かっています。

脳細胞の増加については年齢に関係なく増えることもわかっているんですね。

 

ということで、人の肉体は10年でまるまる入れ替わっているし、脳細胞も増えているのであれば、10年前の脳の状態とは全く違ったものになっているといえます。

それにもかかわらず、10年前の自分と今の自分は「同じ自分」だと断言することができると思うんですね。

 

でも本当にそう断言できるでしょうか?

 

 

人の変化

 

今のあなたと10年前のあなたを比べたとき、経験や知識、その他にも10年前にはできなかったことが出来るようになっているかもしれません。

もちろん場合によっては、出来ていたものが出来なくなっていることもあるかもしれません。

 

そう考えたとき、今のあなたと10年前のあなたは、違う人と言えるのではないでしょうか?

 

他の人が10年前のあなたと、今のあなたを並べて、姿や考え方、能力など全てを見比べたとしたら

「全くの別人だ」

と判断するかもしれませんよね。

 

でも、自分としては変わらず自分を持ち続けているんです。

ここに少しおかしなことが起きていることにお気づきでしょうか。

 

他人は「変わった」と言っているのに自分は「同じ」と感じているんです。

もしも自分は「変わっていない」と思い続けているのなら、自分の成長を実感できていないのかもしれません。

 

それってとても勿体ないことだと思いませんか?

 

 

変化を認めるからこそ

 

人は変化を認めるからこそ、今の自分で生きることができるんです。

人前で話すことに慣れようとして、プレゼンの練習を何度も繰り返すのですが、自分の理想とはかけ離れていることで

「全く上達していない」

と感じてしまうかもしれません。

 

ですが、本当にそうでしょうか?

 

もしかすると、前に比べて手の震えが少しだけ少なくなっているかもしれないですし、声の大きさが大きくなっているかもしれません。

 

「自分は自分のまま」

と考えてしまっていては、わずかな変化に気付かなかったりするんです。

 

このようなポジティブな変化だけでなく、ネガティブな変化もあります。

 

例えば事故にあってしまって、右手が動かせなくなったとします。

そんな状況にあっても、「今の自分」を受け入れることができずに、両手でなんでもできた「以前の自分」を持ち続けてしまうと、右手が動かせない「何も出来ない自分」であり続けることになってしまいます。

 

ですが右手が動かせないことを受け入れると、左手は残っているので「左手だけでできる自分」に変わっていくことができるようになるんです。

 

変化を受け入れ、今の自分を存分に活用する。

そういった意識を持つことができると、わずかな変化にも気づけるようにもなりますし、いま持っている最大のパフォーマンスを発揮できるようになるんですね。

 

 

 

自分としての自我は変わらずにあるけど、できることやできないことはどんどん変わっていきます。

だからこそ、今日の自分は昨日の自分とは違う人と考えることで、自分をどんどん変化させていくことができるんですね。

 

「これまでの自分はこうだから」と過去の自分にとらわれるのではなく、新しい自分を作っていくといった視点を持てば、人生はより豊かになっていくのではと思うのです。