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「死」を想う

 

「死」という文字を見るだけで、少し不吉な感じを受けてしまいます。

それも当たり前のことで、生きている私たちにとって「死」は最もさけるべきことがらと言えます。

そのため「死」から目を背けて、命に満ちあふれた現実にばかり目を向けようとしてしまいます。

もし幽霊がいるのなら

「おばけは、学校も試験もない、会社も仕事もない、死なないし病気もない」

と、笑いながら言っているかもしれません()

 

とはいえ、これも当たり前のことですが、この世界に死なない人はいません。

今このブログを読んでいる人も、これを書いている私自身も、100年後にはもうこの世界に存在していません。

 

死を当たり前の出来事と捉えるからこそ、今ある生をより実感できるのではないでしょうか。

ということで今回は、「死」を想うことで生まれるメリットについて、3つお伝えしていきたいとおもいます。

 

 

今を大切にできる

 

いずれやってくる「死」を意識したとたんに、人生には限りがあることを否が応でも意識することになります。

 

現代に生きる私たちは、社会から与えられた様々な義務があるため、あまりに忙しい日々を過ごしています。

そのため「自分の時間」をどうしても疎かにしてしまっているかもしれません。

 

もちろん社会の中で生きているわけですから、その一員としての義務はあります。

でも自分の幸せを疎かにしてまで果たす義務なんてあるのでしょうか?

「死」を想うからこそ限られた時間のなかで、自分自身が心の底から満足できるために、今なにができるのかに意識を向けることができるようになるのです。

 

 

感謝の気持ちが芽生える

 

「死」を意識することで、今ある命や健康に対する感謝の気持ちが芽生えてきます。

普段は当たり前だと思っていることも、「死」を考えることで、その価値を再確認することができるんですね。

 

それだけでなく、今この瞬間に存在していることそのものにも、感謝の念が湧いてきたりもします。

連綿と受け継がれてきた命の歴史に想いをはせることで、ご先祖様へ感謝の畏敬の念も生まれてくるのではないでしょうか。

 

もしもどこかの世代で、命を次に受け渡す前に何かが起こったりとか、パートナーと出会わなかったり、はたまた自分の子ども守ってくれなかったなら、今の自分は存在していないかもしれないのです。

そう考えると、今ここにいることそのものがとんでもない奇跡に思えませんか?

 

また私たちが生きるためには、必ず他の命を戴いています。

自分の命を受け継いでくれたこと、そして、受け継がれた命を維持させてくれているもの、その全てに感謝の気持ちが生まれてくるのです。

 

 

人生の優先順位を見直す

 

もしかするとあなたは「死」を想ってはいるものの、まだ遠い未来のこととして見ているかもしれません。

ですが残念なことに、突発的な出来事で急に命を落とす可能性はゼロではありません。

 

実際に私自身も最近、コロナ感染から肺炎を併発してしまい、かなりの息苦しさに見舞われました。

死を覚悟するほどではありませんでしたが、症状が軽くなったときに改めてかかり付けの病院にいったところ

「まだ体力もあるから大丈夫だとはおもうけど、あのタイミングで来てくれてなかったら、最悪な場合もあり得たからね」

と言われてしまいました。

 

このようにもしかすると「死」は明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、一ヶ月後かもしれません。

そうなったとき、本当に後悔しないと言い切れるでしょうか。

 

仕事やお金や地位などは、生きていく上では大切ですが「死」を目前にしたとき、これらが本当に自分にとって大切なものと断言できるでしょうか?

 

もしかすると、家族や友人とゆったり過ごす時間がなにより大切かもしれません。

自然の中で静かに溶け込むことが、大切かもしれません。

好きな本を日がな一日読みふけることかもしれません。

 

死を意識することは、人生の優先順位を見直し、本当に大切なものに目をむけるきっかけとなります。

あなたにとって、今、最も大切にしたいものは何ですか?

今一度、自分の心の声に耳を傾けてみてくださいね。

 

 

 

実は「死」を意識することは、決してネガティブなことではありません。

むしろ、より豊かな人生を送るための重要な鍵と言えるのです。

 

「死」は遅かれ早かれ必ずやってきます。

それを悲観的にみるのではなく、今ある命を大切にして、今をどう過ごすのかに改めて意識を向けていただけると嬉しいです。