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「彼ら」から「私たち」へ ~分断を埋めるために~

 

人は社会性動物と言われています。

では、社会性動物とは一体なんなのでしょうか?

かなり乱暴なまとめ方にはなりますが、社会性動物とは「群れ」を作る生き物といえます。

 

国単位の群れ、部族単位の群れ、組織単位の群れ、友人単位の群れ、家族単位の群れ、思想単位の群れ…。

どの単位の群れにも当てはまるのですが、それぞれの群れには共通の価値観があり、その価値観が「私たち」と「彼ら」を分けています。

 

これは単位の大きさに限らず、ヒトである限り逃れることができない、この世界の見方といえます。

 

ですが「彼ら」と「私たち」を分けることで分断が起き、相容れない存在と認識してしまえば猜疑連鎖が始まり、心をオープンにした対話は生まれません。

これは国単位の話ではなく、会社のなかの部署単位、ごく少数の友人単位、はたまた、11の個人間にも起こりえるものです。

 

そこで今回は、対話を困難にさせる分断が起きないために、自分ができることは何かをご紹介したいと思います。

 

 

なぜ分断が起きるか?

 

私たちはそれぞれに「これが正しい」「これが間違っている」といった、価値判断の基準を持っています。

そして自分がもっている基準に収まるものには安心を覚え、基準からずれるものには嫌悪や不安を感じるように作られています。

それもそのはずで、それらの基準は自分が安全に過ごすためのものだからです。

 

そのため、自分と同じ考え方をしている人と一緒にいれば、安全は保証されます。ですが、違う考え方の人と一緒にいると、いつ裏切られるかわからないので、安心することができません。

そうなったとき自分を守る最も簡単な方法は、「彼ら」から遠ざかるということです。

 

そして「彼ら」との距離が生まれると、「彼ら」のことがよく見えなくなってしまいます。

ですがわずかに見えてくる情報の断片を見たとき「あれはきっと、○○をするためのものだ」と、自分達が忌避すべきことをしているに違いないと、勝手な決めつけをするようになります。

そうなればますます「彼ら」に嫌悪感を抱くことになり、分断が強化されることになってしまいます。

 

また「「彼ら」はきっと、○○に違いない」と考えると、○○を証明するための証拠ばかりを集めようとし始めます。

わずかでも○○に近しいものを発見したときは「それみたことか!」と、「彼ら」を非難して「私たち」の正当性を声高に訴えるようになります。

 

それをみた「彼ら」は、「私たち」と同じように、「また訳の分からないことを言い始めた」となり、お互いに歩み寄りができなくなってしまいます。

 

こうして分断の悪循環が生まれてしまい、対立はますます深刻化してしまうのです。

 

 

分断を埋めるために

 

ここまで分断が生まれる原因と、分断が深刻になるメカニズムについてお伝えしました。

その全てに共通するものは「互いの不理解」に他なりません。

 

相手のことが分からないから「自分なりの解釈」を当てはめて、相手を理解しようとするのです。

ですが「自分なりの解釈」が間違っていたのなら、相手を正しく理解する日は永遠に訪れません。

 

大切なのは、憶測によって理解しようとするのではなく、「彼ら」を正しく理解するために近づき、言葉を交わし、「彼ら」の価値観を理解することです。

そのためには「私たち」の価値観を横に起き、「彼ら」の言葉を批判することなく、じっくりと耳を傾ける必要があります。

 

「彼ら」の話を冷静に受け取るためには、「私たち」の感情を落ち着かせる必要があります。

感情的になってしまったのなら、「私たち」の理論でしか物事を見ることができなくなってしまいます。

 

そうではなく「彼らの理論」で起きていることを見るようにしないと、「彼ら」を理解することは絶対にできないのです。

 

 

「彼ら」から「私たち」へ

 

まず「私たち」に目を向けてみましょう。

「私たち」は「彼ら」に対し、嫌悪や恐れ、不安、疑いを持っています。

ということは「彼ら」もまた「私たち」と同じように、ネガティブなレッテルを貼っているといえます。

ですがそれらのネガティブなレッテルは互いに、「彼らの論理」で作られたものではなく、「私たちの論理」によって作られたものです。

つまり、間違えた論理によって作られたレッテルなのです。

 

「「私たち」が「彼ら」に対して持っているものは間違っているかもしれない」

まずはそれを認めることが、分断を埋めるための第一歩となります。

 

そうなれば次の一歩はおのずと見えてくるはずです。

「彼ら」はどういった考えで「私たち」を見ているのだろうという疑問です。

 

ここで取れる方法は2つ。

1つは、「彼ら」の側に立って「私たち」を眺めてみます。

すると「私たち」の言動によって「彼ら」がどう感じるのか、どう考えるようになるのかが見えてきます。

つまり「彼ら」に対して共感が生まれ始めるのです。

 

もう1つは「彼ら」に会って、話を聴く。

「彼ら」が「私たち」をどうみているのか、そしてなぜ、「私たち」をそのように見ているのか。「彼ら」は何を信じているのか。

「彼ら」が生きる世界はどのような世界なのかを学ぼうとすることです。

 

このように「彼ら」がどのような価値観で考え動いているかを理解することで、「私たち」のこともより理解が深まっていきます。

そのような手順を踏むことで、「私たち」と何が違い、何が共通しているかに気付くことができます。

 

ここで大切なのは違いを違いとして受け入れ、認め合い、共通するところを共有することです。

互いに違っていたとしても、同じ所もあることを互いに理解しあうことができたとき、「彼ら」と「私たち」の境界が曖昧になり、分断が解消されていくのです。

するとこれまで「理解できない別の種族」と感じていたものが、「「私たち」と同じ人間」に変化していくわけです。

 

面白いことに、根本的に相容れない考えを持つ人同士が対話を重ね、互いの意見をより深く知ることで、よりオープンになり、違う考えに対して反射的に拒絶するといったことが和らいでいきます。

相手の意見に同意することはなかったとしても、これまで敵対していた相手の考えに理解を示すことできるようになります。

つまり、相手を尊重し受け入れることができるようになるのです。

 

 

 

「彼ら」を拒絶することもできますが、「彼ら」に共感し理解しようとする選択を取ることもできるのです。

もちろんその選択をするのが難しく感じる場合も多いでしょう。

ですが、その選択肢がなくなるわけではありません。

 

私たちはいつでも、歩み寄りの道を選ぶことができるのです。