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誰かにとっての最高の自分

 

人から認められるというのは、心がくすぐられて悪い気にはならないですよね。

その最高の蜜を確実に手に入れるためには、誰かにとって最高の自分になることです。

 

・最高の部下になる

・最高の上司になる

・最高の同僚になる

・最高の子供になる

・最高の親になる

・最高の友になる

・最高の伴侶になる

 

などなど。

 

そうすれば人から確実に認められるようになるでしょう。

でも全ての人から認められようとすれば、完全無欠の自分にならない限り難しいと言えます。

 

さて、完全無欠な自分になるなんてできるのでしょうか?

ということで今回のテーマは「最高の自分」です。

どんな自分が最高なのか、それを考えてみましょう。

 

 

・完全無欠の人

 

まず考えなきゃいけないのは「全ての特性が最高値の人は存在するのか?」というものです。

例えば、地球で最高の知能があり、ありとあらゆる知識を持っていたとします。

でもそれはあくまでも「地球の中」だけの話でしかありません。

さらに文明が進んだ星の住人からすれば、笑ってしまうくらいの知識に映るかもしれません。

 

その他にも、最高の美しさを兼ね備えていたとしても、すべての人から「愛される」とは限りません。

 

ある人にとっては最高に見えたとしても、別の人から見ればそれほどでもない、なんてことが当たり前に起きてしまいます。

 

つまり「最高」というのは人の主観でしかありません。感じ方は人によって変化するため、完全無欠は存在し得ないと言えるのです。

もしもそのような存在があったとするなら、それは「神」と呼ばれる存在といえるでしょう。

 

もう人ですらないですよね。

 

 

・特定の人にとっての最高

 

全ての人にとって最高になるというのは、現実的ではありません。

では特定の人にとって最高になるというのは、可能でしょうか?

 

その答えは「YES」です。

ですが永続的に最高で居続けることはできません。

ある一定の期間だけしか、誰かにとっての最高にはなれないのです。

 

例えば「最高の夫」になれたとします。

妻としたら幸せの絶頂でしょう。

ですが残念なことに、時間が過ぎていくことで、体型も変われば容姿も変化していきます。

また社会情勢が変わることで、収入も変わるかもしれません。

ある日突然、重い病気を発症することになるなんてこともあるでしょう。

 

そうなったとたんに「最高の夫」ではなくなってしまうのです。

 

もちろん「最高の夫」であり続けるために、努力を惜しまなければその期間を延ばすことはできます。

ですがその努力はおそらく、途方もないほどの苦行になるでしょう。

その努力の結果、幸せになるのは妻だけで、夫は疲れ切ってしまうかもしれません。

 

このように特定の人にとって最高な自分になれたとしても、認めてもらえるのは一瞬でしかないのです。

そう考えると、無理して誰かにとっての最高の自分になったところで、幸せになれるとは言えませんよね。

 

 

・最高の自分とは?

 

では最高の自分を目指さなくてもいいのでしょうか?

もちろんそれでも何一つ問題ありません。

 

そこそこの収入、そこそこの生活、そこそこの人間関係。それでなんの不満もないのなら、まったく問題ありません。むしろ背伸びする必要がないので、心地よく過ごすことができるでしょう。

 

大切なのは「自分がどう感じるか」なんです。

日々の暮らしのなかで、嫉妬や妬み、卑屈さなどが生まれることなく、平和に過ごすことができるのであれば、それはすでに「最高の自分」になれているんです。

 

そこから「もっとよくしたい」と思うことも、素晴らしいことです。

そういった気持ちがあることで、さらに生活を豊かにしていくこともできます。

 

つまり「最高の自分」とは、自分に嘘をつく必要がない状態なんです。

幸せだと思っていないのに、自分は幸せだと思い込もうとしても心が辛いだけになってしまいます。

そうではなく、他人がどう思おうと関係なく、自分が幸せだと心底思えるのであれば、最高の自分として過ごせていると言えるんですね。

 

 

・無欲になれではない

 

よく人間の欲には際限がないので、欲を捨てない限りもっと欲しいとなり、満足することができないと言われたりします。

ですが僕の個人的な考えとしては、欲を持つからこそ、頑張ることができるし、自分をさらに高めるエネルギーになると考えています。

なので無欲が素晴らしいとは思っていません。

 

大切なのは欲の使い方にあると思うのです。

 

その欲が他人の上に立つことを目的にしていると、自分を高めるか他人を引きずり降ろすかという選択が生まれます。

前者であればいいのですが、後者の場合、この世界にある価値が目減りするだけになってしまいますよね。

それはあまり良い方法とは思えません。

 

ですが欲の使い方を自分が変わるためにするのなら、他人から何かを奪うようなことをせずに、よりよい自分になっていくことができますよね。

 

他人と幸せを比べることなく、自分が幸せだと思えるようになることが「最高の自分」になることなんです。

それが今でもそう思えているのなら、すでに「最高の自分」になれているし、まだ思えていないのなら誰でも「最高の自分」を目指すことができるんです。

「最高の自分」というのは、他人と切り離されたところにあるものなんですね。

 

 

 

誰かにとっての「最高の自分」と考えるのではなく、自分にとっての「最高の自分」になることが大切なんです。

そうなれるからこそ余裕が生まれて、誰かにとって最高とまでは言えなくても、素敵な人になれるんですね。

 

もちろん、すでに「最高の自分」であっても、「もっと最高の自分」にもなることだってできますよ。

それもまた、素晴らしいことだと思います。