
生きていると色んな出来事がありますよね。
まったく考えていなかったようなとんでもないことが、自分の身に降りかかることがあります。
まさに運命のいたずらのような、今までの生活サイクルを考えるとあり得ないような、衝撃的な出来事が襲いかかってきます。
例えば
・交通事故
・大きな病気
・信頼していた人からの裏切り
そんなとき、人は打ちのめされ、自分の無力を思い知らされます。
それは「運命の被害者」と言えるかもしれません。
「被害者」となってしまったそのとき、どのような振る舞いをするかで、その先の人生が変わるとしたら、あなたはどんな選択をするでしょうか?
「被害者」であるとは
被害者は窮地に陥り「もうだめだ」と絶望している状態の人です。
自分のまいた種でその状況になってしまう人もいれば、全くの偶然から窮地に引きずり込まれている人もいるでしょう。
ですが共通しているのは、今の望まない状況に立たされ、どうすれば良いかが分からず右往左往していることです。
この状態では自分の運命を呪い、自分を窮地に追いやった相手を呪い、そして自分に手を差し伸べてくれない社会を呪うようになります。
これは僕の実体験ですが、小学生時代、僕は引っ込み思案で口下手だったんです
そのためいつも休憩時間は、クラスの中で出来上がったグループに入ることなく教科書を読んで時間を潰していました。
教科書に飽きれば、校舎裏など人気の無い場所に行き、虫を探してみたり、草の形を観察したりと、自分の世界に浸る少年だったんです。
そういうことも相まって、クラスでも孤立している存在でした。
孤立していることに対してそっとしてくれていたなら問題は無かったのですが、孤立しているとどうしても好奇の目で見られます。
始めは軽いちょっかいが、やがてエスカレートしていきイジメに変わることは珍しいことではありません。
すれ違いざまに肩を叩かれたり、教科書を隠されたり、鉛筆を折られたり、色々なことが起きました。
でもそれを親や教師に言うこともできず、いつか気づいてくれると期待していました。
でも現実はそうはならず、誰にも気付かれることなく、イジメは続いたのです。
中学という監獄
小学生の頃はエスカレートをしつつも、子供じみたものばかりでした。
なので耐えることもそれほど難しいものではありません。
ですが中学に上がると、力も強くなり残忍性も高まります。
物理的な攻撃に加え、精神的な攻撃が追加されていったのです。
自分から進んで影を潜めているなら、周囲から認知されていなくても辛くはありません。
ですが周囲が自分を認知した上で、存在しないように振る舞われることほど辛いものはありません。
それを徹底されれば物理的な被害もなく、かりそめの平和があるのですが、周囲の誰かの気分が悪いという理由で、八つ当たりの的にされることも少なくありませんでした。
子どもにとっては学校が社会の全てです。
そのため、そこから抜け出すという考えもありません。
朝になれば、一番行きたくない場所に向かわなければならない。まさに生き地獄のような日々でした。
あの頃は毎日、「明日、学校が爆発すればいいのに」と思いながら、眠りについたものです。
いまから考えるとクラスメイトなんてものは、人生におけるほんのわずかな時間だけを共有する存在でしかありません。
でも子どものときにはそれがわからず、逃げ場のない毎日を過ごすことになっていました。
大人になっても
子どものころから自分の意見や想いを伝えることをしていないことで、周りにいい顔をしては、無理して嫌なことを引き受ける毎日です。
誰かが自分の状況をみて、「さすがに負担させすぎだ」と言ってくれるのをただ待ち続けていました。
そうして救世主を待ちながら時間が過ぎていくわけですが、いつまでたっても助けてくれる人なんて現れません。
面倒な仕事ばかりが舞い込んでくる環境が、出来上がっていただけでした。
そうなんです。
被害者になって助けを待っていても、助けの手なんてものは現れないのです。
本当に助けて欲しいのなら、自分で声を上げるしかありません。
もしくは、その理不尽な状況に立ち向かうしかないのです。
それまでの僕は被害者に甘んじることで、自分から動くことをしていなかっただけでした。
だから、自分が望まない現実が現れてしまっていたのです。
被害者から抜け出すために
被害者から抜け出すための第一歩は、自分の想いを声にすることです。
黙っていても分かってくれるなんてことは、まずありません。
そもそも周りの人も、自分のことで精一杯なんです。他人になんてかまってられないんです。
もちろん、自分の考えや想いを伝えるのは怖いです。
相手がどんな反応をしてくるか想像することもできません。
それでも自分が行動を起こさないかかぎり、自分の身の回りに現れている状況を変えることはできません。
いつまでも被害者のまま過ごしてしまうと「自分で状況を変えることができる」ということを、信じられなくなってしまいます。
でも状況を変えることなんて、ほんのちょっとの勇気があれば、誰でもいつでも変えることができます。
「自分ならできる」
ほんのわずかでもそう思えたのなら、その瞬間に被害者から一歩踏み出しているのです。
大切なのは「自分に何ができるのか?」を探すこと。
もしも「人前で話すことができない」のなら、「立って話す」ことから練習してみればいいんです。
ほんのわずかでも、ゴールに近づいていける何かをしてみる。
それだけで状況は変わり始めます。
僕も最初はオドオドしながら自分の想いを伝えました。
どれだけたどたどしくても、相手に伝わったなら、何かしらの変化が生まれます。
僕の場合は、相手が面倒な作業を引き上げてくれました。
自分が行動することで物事は動き始めます。
被害者のままうずくまっているだけでは、何も変わらないし、状況はますます悪くなるだけです。
ほんの些細なことでいいので、いままでと違う何かをしてみませんか。
それだけで状況は動き始めますよ。
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