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過度な紐付けの危険性

 

福島県いわき市で、311日に卒業祝いの給食として用意されていた赤飯が、一本の電話をきっかけに提供中止となり、約2100食が廃棄されることになりました。

発端は、保護者を名乗る人物からの「震災の日に赤飯を提供していいのか」という趣旨の連絡だったと報じられています。

市長は後に対応を謝罪し、食育の観点からも破棄は適切ではなかったという考えを示しました。

 

この出来事を見ていると、考えさせられることがありますよね。

もちろん、震災を大切に思う気持ち自体は、とても大事なものです。

被害が大きかった地域であればなおさら、311日という日付に特別な思いがあるのも自然なことだと思います。

 

ただその一方で、まったく別の意味を持つものまで強く結びつけてしまうと、判断がズレてしまうことがあるんですね。

ということで今回は、関係のないものを過度に紐づけてしまうことの危険性と、なぜそういう見方が起こるのか、そして自分がそこに引っ張られないためにはどうしたらいいのかについてお伝えしていきますね。

 

 

問題の本質

 

今回、赤飯が用意されていたのは、震災を祝うためではありません。

卒業生の門出を祝う給食として準備されていたものです。

報道では、いわき市内の中学校5校で、卒業祝いの献立として赤飯が予定されていたとされています。

つまり本来の文脈は、卒業を祝うというものだったんです。

 

でもそこに、311日という日付の重みが重なったことで、赤飯そのものまで不適切なものとして見られてしまいました。

ここに、過度な紐づけの怖さがあります。

 

本来は別々に考えられるものなのに、ある強い意味が乗ったことで、他の意味まで押し流されてしまう。

そうなると、冷静な判断が難しくなりやすいんですね。

 

赤飯が不適切なのではなく、震災の日と祝いの象徴を強く結びつけた見方が、判断全体に大きな影響を与えてしまったのです。

 

 

なぜ過度な紐づけが起きるか

 

こういうことは、特別な人だけがするわけではありません。

人はもともと、強い感情が動いた出来事に関連するものを広く結びつけやすいんです。

 

特に震災のような大きな出来事は、日付そのものに強い意味が宿りやすいですよね。

すると、その日に起こる別の出来事や、その日に出てくる食べ物や言葉にまで、特別な意味を感じやすくなります。

しかもそこに、失礼があってはいけないという気持ちが加わると、判断はさらに慎重なものに偏っていきます。

 

不謹慎だと思われたくない。

誰かを傷つけたくない。

配慮が足りないと思われたくない。

 

そういう気持ちは、一見するととても真面目ですし、優しさにも見えますよね。

でも、その慎重さが行き過ぎると、本来は関係のないものまで同じ箱に入れてしまうことがあるんです。

 

今回も、教育長は当時、赤飯が日本の中で広く祝い事の象徴と捉えられていて、この日に提供するのはふさわしくないと考えたと説明しています。

つまり悪意というより、配慮のつもりで判断が狭くなった側面があったと考えられます。

ここが難しいところなんですね。

 

誤った判断というのは、浅慮な人だけがするものではありません。

むしろ、真面目な人、配慮を大切にする人ほど、強い意味づけに引っ張られてしまうことがあるんです。

 

 

過度な紐づけの危険性

 

こうした見方の危険なところは、一つの価値を守ろうとした結果、別の大事な価値を壊してしまうことです。

 

今回でいえば、震災の日への配慮を優先した結果、卒業生の節目、調理された食事、食べ物を大切にする姿勢といった別の価値が置き去りになってしまいました。

実際、赤飯はすでに調理され、各学校への配送も済んでいたと報じられています。

それでも提供は中止され、代わりに非常用のパンなどへ差し替えられました。

 

市長も、もったいないですし、食育というのは食べ物のありがたみを伝えることだという趣旨の発言をしています。

つまり、配慮をしたつもりの判断が、別の大切なものを傷つけてしまったわけです。

 

こういうことって、日常でもありますよね。

誰かの気持ちを考えたつもりで、かえって相手の大事なものを奪ってしまう。

失礼がないようにと思いすぎて、話が極端になる。

一つの意味に引っ張られすぎると、全体が見えなくなるんです。

だから、配慮のつもりで出した判断ほど、本当にそれで全体を守れているのかを見直す必要があるんですね。

 

 

誤った見方をしないために

 

では、自分がこういう見方に引っ張られないためには、どうしたらいいのでしょうか?

 

まず大事なのは、今結びつけている二つは、本当に直接関係しているのかと立ち止まることです。

今回でいえば、311日と赤飯は、感情のうえでは結びつきやすかったかもしれません。

でも、本来の目的としては、震災を祝う話ではなく、卒業を祝う話でした。

この区別を一度入れられるかどうかで、見え方はかなり変わります。

 

それから、別の意味づけができないかを考えることも大事です。

実際、市長は、仮に311日に赤飯が出たとしても、冒頭に追悼をして震災を振り返りながら、感謝の気持ちを持って食べれば問題なかったのではないかという見解を示しています。

 

つまり、赤飯を出すか出さないかの二択だけではなかったということです。

追悼と卒業祝いをどう両立するか、という考え方もできたわけです。

こういう視点が入ると、一つの意味に盲目的に従うことがなくなります。

 

さらに、一つの価値だけではなく、他に守るべき価値はないかを見ることも大切です。

 

配慮。

追悼。

卒業。

食べ物の大切さ。

調理した人の思い。

 

こうしたものを全部いったん並べてみると、極端な判断をしにくくなるんですね。

 

 

感情を大切にしながら判断を雑にしない

 

ここで勘違いしたくないのは、感情を持つこと自体が悪いわけではないということです。

311日に特別な思いを抱くのは自然なことですし、その日を軽く扱いたくないという感覚も大切です。

でも、感情が強いときほど、その感情に合う解釈だけを正しいものとして選びやすくなるんですね。

すると、本来は別の見方もできるのに、それが見えなくなってしまうんです。

 

大切なのは、感情を抑え付けることでも、否定することでもありません。

感情が判断を狭めていないかを確認することなんです。

 

悲しみがある。

配慮したい気持ちもある。

でも、それとこれは本当に結びついているのか。

他の方法はないのか。

別の大事なものを傷つけていないか。

このような問いを立てることで、判断の質はかなり変わります。

 

 

 

関係のないものを強く紐づける見方は、一見もっともらしく見えてしまいます。

特に、正しさや配慮の形をとっていると、なおさら疑いにくいですよね。

でも、もっともらしく見えることと、適切であることは別なんです。

今回の赤飯の件は、そのことをよく示しているように思います。

 

大事な日だからこそ慎重に。

それ自体は間違っていません。

ただ、慎重さが過度な結びつけに変わると、かえって大切なものを壊してしまうことがあるんです。

だからこそ、何かを不適切だと感じたときほど、一度立ち止まることが大事なんですね。

 

本当に関係があるのか。

それとも、自分の印象が強く乗っているだけなのか。

他の見方はできないのか。

 

そうやって見直す習慣があると、思い込みのある偏った判断を防ぐことができます。

配慮を大切にしながら、判断は雑にしない。

その姿勢を持っていたいですね。

 

 

 

 

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